スイスのチーズ
スイスのチーズがどのようにしてつくられていったかというのは、完全には明らかになっていません。
しかし、チーズの起源としては、昔、砂漠を渡る際に、羊の腸にミルクを入れておいて、それが砂漠の暑さや馬の振動でゆれたことによって、チーズができたとされています。
これもまた、諸説あるうちのひとつではあります。
スイスのチーズに関する最も古く残っている記録としては、歴史学者であるローマ人のピニウスの書物から、ヘルヴェティア・チーズの記載があって、これがスイスのチーズの存在の証明になっているとされています。
この書物がつくられたのが1世紀ですから、1世紀のころには、少なくてもスイスにもチーズがあったというふうに考えられています。
その1世紀から、徐々にチーズ作りがとくに山小屋においてなされていたという記録が残っています。
しかし、ここでチーズ作りの歴史のなかでも問題が生じます。
その問題というのは何かというと、当時はサワーミルクからチーズが作られていたのですが、このサワーミルクからチーズを作るという西方だと、チーズの日持ちがしないというのが厄介な問題でした。
そういった問題点を解決するために、15世紀を過ぎた頃になると、牛の胃袋から採取できる凝乳酵素を使用したチーズ作りがなされました。
これによってできたのがハードチーズになります。このハードチーズは、以前に山小屋で作られていたサワーミルクから作られたチーズよりもはるかに日持ちするということで、問題点に改善が見られました。
当時、山には数多くの巡礼者がいました。
しかし、その山は雪山で、1年の多くの期間を雪に閉ざされていました。そこで、巡礼者が泊まるところでは、備蓄用のチーズが何より重宝されました。
とくにかの有名なナポレオンの軍隊が駐屯した折には、1トンを超えるチーズが準備され、消費されたといいます。
このように、チーズは非常食として重用されてきたという歴史があります。
そしてその1トンに及ぶチーズの代金は、その後50年の歳月をかけたのち、支払いがなされました。
このように、チーズは保存期間が延びたことによって、多くの人からの需要を集めるようになりました。
とくにスイスでは、その保存期間の延長とともに、大事な輸出品目として名を連ねるようになっていきます。
18世紀以降には、スイスのチーズがヨーロッパ全域に輸出されるようになりました。
この当時には、チーズ以外のところで問題があったといいます。
というのも、輸出品として各国からニーズが高まるチーズの生産に注力するあまり、国内における乳製品の質が下がってしまうということです。
当時の人の声でも、非常におかしい話だが、スイス国内で飲むミルクは全然おいしくない、チーズはあんなにおいしいのに、というものがありました。
このように、チーズの品質を上げることを重視した結果、国内のミルクやバターの質が低下してしまったというのも、いまではひとつの歴史として語り継がれています。
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